2019/9/24 台風15号被害

2019年9月8日からの台風15号の影響でスタジオや近辺に甚大な被害がでて復旧までに時間がかかることからスタジオでの撮影とレンタルはできません。

写真は10日支援物資を運ぶのにフェリーを使ったので海から撮影したスタジオです。

下の続きは9日からの状況を振り返り書きました。興味のある人はどうぞ。

8日仕事を終わらせスタジオに着いたのが20時頃でした。
その時は雨風はたいしたこと無くまさかこんな状況になるとは思いもせず就寝
日付が変わり9日2時頃からサイレンと雨風の音で起き停電になった。2時半ごろ3階窓ガラスがサッシごと外れ倒れた衝撃でガラスが割れ真横に雨が室内に降り2階が浸水。当然1階にも雨漏りし2時半から5時まで雨漏りを最小限に食い止めるため格闘し、水を全面取り除くのに14時間の雑巾絞り。2週間経った今でも握力が戻ってません。
今回の台風は風速60mでした。時速にすると216キロになります。
「身近なものだと新幹線の屋根の上に立つ」
台風というより竜巻の方が呼び方はあってる
聞いたことが無いサイレンが雨風の音と一緒に5時間鳴り響き、おそらくあの恐怖は一生忘れることができないかと思います。
戦争の話を聞いても実感わかないのと同じでこの恐怖を話しても誰もわかってくれません。

東京に自宅がある私は帰宅すればよかったけど片付けや近隣へのボランティアで今日までほとんどを金谷で過ごしました。
飲み水はもともとミネラルウォーターだし正直水はどうにかなる。
電気はIH調理なので使えず、電子レンジも使えず、エアコン、テレビ、スマホの充電、とにかく電気に頼っている生活をしているこのことを実感させれた

近隣住居からするとスタジオは窓ガラスが割れ2階浸水、1階雨漏り、屋根損傷の軽傷です。これで軽傷・・・
金谷のコミセンで発電機があるのでスマホの充電ができると情報を得たので行ってみると金谷の仲間が明日からの支援物資の支給準備の手伝いをしていたので一緒にお手伝い。

手伝い終わってこれからの金谷をどうする?なんて話を一緒に支援物資支給を取り仕切っていた地元市議会議員さんと熱く語った夜だった。

袖ヶ浦まで車で40分走れば日常そのもの。必要なものは買えたので物資で困ることは無かった。風呂は自衛隊の仮設風呂に入った。男一人の生活には困らなかった。
必要なもの送るとか炊き出しに行くとかほんの数名の方から暖かいメッセージを頂いたが来てもらっても被災地です。わざわざ被災しに来なくてもいいのでお断りさせていただきました。

断水は18日に解消。停電は19日夜復旧。

家の中は暗闇なので何をするにしても懐中電灯片手に行動するしかなかった。携帯電波は対岸の久里浜の電波を拾っていたのでスマホ・携帯は使えた。電力復旧の情報を得るのにSNSに頼り、見たくないリア充やパリピの自慢が目に入ってきたのが一番ストレスだった。

電気が復旧したときは涙が出るかと思った。

そしてこれから、保険で家の修理費はなんとかなる。周りの家もそうだろう。

しかし70歳を過ぎた人達が屋根が無い家を修理してまた住むだろうか?
金谷の地元の人はほとんどが70歳を過ぎています。修理費にお金を使うより、都会の老人ホームに入ることを選択する人がたくさんいるとゴーストタウンになってしまう。
金谷の特産品のアジフライはいつ食べれるようになるのか?

被災してわかったこと①
SNSはリア充自慢じゃダメ。伝えたいことを伝える場。いろんな状況の人が見ている。自慢したいのは分かるがそれ自体が不快にとられる

被災してわかったこと②
Facebook・Twitterなどで繋がってる人が合わせて200人ぐらいいるけど、手を差し伸べてくれた人は5人。嘲笑うメッセージを送ってきたやつ。後者は切り捨てるとして、前者は大事にしないといけない人だと改めて感じた。 停電してごはん作れないならピザでも取れば?なんて言ったやつも・・・

そして最後に、今は写真を撮る気がしない。
お仕事で相手が喜んでくれるのは勿論撮らせていただきますが、この心境でいいのが撮れるはずがない
いつか撮れる心境になるまで